【終活】お墓を購入か、永代供養墓か、手元供養か。

現代のような碑石を建てるお墓が建てられ始めたのは、江戸中期の頃からだと言われています。権力や富を持つ経済的に豊かな一部の層が中心でした。今日のように、一般の庶民がお墓を自由に建てられるようになったのは、昭和30年代の日本の高度経済成長時代を経て、日本の国が豊かになり、また霊園といった形態の墓地が定着し、なおかつ先祖を思いやる精神的なゆとりが生まれるという、そうした様々な時代背景の変化の中で建墓が促進され、一般化されてきたといえます。(全国永代供養墓WEBより)

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私は、比較的古い家に育ちました。春夏のお彼岸、お盆、可能であれば月命日には、お墓参りに行っています。でも、自分が亡くなった後、自分の子供はやらなくてもいいです。

お墓の意味や価値が感じられません。宗教は心の拠り所になっていないし、日常生活に関係がありません。宗派もよく忘れます。
死の悲しみや不安に対して、お寺・仏教・僧侶に助けてもらった気がしません。
亡くなったら、葬儀や戒名、お墓関連。お寺の儀式は、言われるがままにお金を払っているだけのような気持ちです。

先祖への感謝の気持ちはあります。先祖がいたからこそ、私が存在します。でも、お墓がなくてもいいのです。空を見上げて、故人を想い、偲んでもいいと思います。金額によって決まる戒名で、死後が変わるとは思いません。

 

墓じまいには、数十万から百万円近く費用がかかるようです。お墓の承継も大変です。

少子化、住む場所の自由。

家は資産になるとは思えず、賃貸暮らし。子供は、好きなところで、自由に生きて欲しい、と思います。

 

私自身は、散骨と手元供養、または永代供養墓がいいです。お墓は、故人のためだけではなく、残された家族が故人や先祖のことを想い心を癒す場、との考えもあります。私のためには不要ですが、遺族が私の死を受け入れるまでに必要なら、私を知っている遺族がいる間、手を合わせる場所があってもいいです。歳をとって、寿命と受け入れてもらえる頃になったら、お墓は不要かもしれません。

気が向いたり、悩んで相談したい気持ちになったら、お墓参りに。お墓がなくてもいいのです。好きなところに旅行して、たまに先祖に想いを寄せて、感謝して、人生を楽しんで欲しいと思います。